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ルクソール - カルナック & ルクソール神殿 - [旅行]

2日間過ごしたメナ・ハウス・オベロイを後にしてルクソールへ
今日からはカイロを案内していただいたアブドさんからアイマンさんへガイドが変わる。
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スモッグの為かいつも煙った感じがするカイロの街。
圧倒的に韓国車が多い中日本車発見。しかもかなり昔のシビックだ。
いつ頃生産されたシビックかわからないが、なぜか嬉しくなる

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カイロからルクソールへは約1時間の空の旅。
砂漠の中ナイル川沿いに街が広がる。景色と空気がカイロとまったく違う。
ルクソールはかつてテーベと呼ばれ、中王国時代に国内を統一する首都となり
新王国時代にかけアメン神信仰の総本山として栄え、最盛期の人口は100万人に近くになったという。

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ガイドさんに連れられて地元のローカルレストランで昼食。
窓からの眺め。バルサのユニフォームを着た子供達がいっぱいいた。

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豆のスープ / ナスのサラダ / ごまペースト等をアエイシというエジプトパンに挟んで食べる。
コフタ ! 羊の挽肉にタマネギやパセリ等を混ぜ合わせ串焼きした料理。
スープもペーストもパンもコフタも美味しかった

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カルナック大神殿はアメン大神殿を中心とした、敷地の周囲が5キロにわたる広大な神殿。
中王国時代地方神のアメン神を祭る神殿であったが、テーベが首都となると
アメン神は太陽神ラーと合体し、国家最高神として信仰を集めた。

スフィンクス参道を進んだ先が第1塔門。
さらにその先にラムセス2世の巨像が守るように立つ第2塔門。

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オシリス神のポーズをとるラムセス2世。足の間にいるのはベント・アンナ王女。

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大列柱室。石灰岩で造られた直径5mの柱が立ち並ぶ。
アメンヘテフ3世が着工、ラムセス2世が紀元前1285年頃完成させた大列柱室は
当時石の天井で覆われていたという。
右側がトトメス1世、左側がハトシェプスト女王のオベリスク。
ハトシェプスト女王のオベリスクは、現存する最大のもので高さ 29.55m、
完成時には先端に金箔が貼られ、キラキラ輝いていた。

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対になって立っていたハトシェプスト女王のオベリスクの先端と女王の間。

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聖なる池とスカラベの大石像。
スカラベのまわりを人がグルグル回っている。その訳は。
スカラベは太陽神の化身とされ、幸運の象徴。
この周りを時計と反対回りに7周すると願いが叶うという。
もちろん僕らも回りました ^^

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カルナック神殿を後にルクソール神殿へ。
ルクソール神殿はカルナック神殿の副殿として、
新王国時代第18朝アメンテヘテブ3世と、ラムセス2世の2人が主に建設した。
創建時はスフィンクス参道により、二つの神殿はつながっていた。

カデシュの戦いがレリーフに描かれた第1塔門と高さ25mのオベリスク。
対になっていたもう1本のオベリスクは、現在なんと、パリのコンコルド広場にある。。。^^;
門を入った左手には、11世紀に建てられたアブー・エル・ハッジャージ・モスクが神殿とコラボしていて変な感じ。

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中庭から大列柱廟を望む。
閉花式パピルス柱に囲まれた広場で
正面にラムセス2世座像、左手にラムセス2世立像がある。

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開花式パピルス柱が14本並ぶ大列柱廟。
入ったすぐ右手に、ツタンカーメン王とアンケセナーメン王妃座像。

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壁画も色鮮やかに残っている。
右側の壁画はローマ皇帝を崇拝する為、
ローマ時代に改造された1番奥の神殿の壁に描かれていたローマ風の人達のフレスコ画。
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