ルクソール - アル・ムーディラ@パブリッックスペース - [旅行]
さてさて、観光で疲れた僕らのルクソールでのホテルは・・・・?
ナイル川を超えた西岸、素朴な村の中ガードマン? 警官? に封鎖された道の先に・・・
“ アル・ムーディラ ”というホテルです。
ジュエリーデザイナーでもあるレバノン人のマダムがオーナー。
ヌビア建築のエッセンスやトルコ風の様式や様々な様式が調和した
とてもロマンチックで不思議な空間のホテルです。
ちょうどよい広さのアットホームなエントランス。
エントランスの隣には中庭があり、ここでお茶や軽食が楽しめます。
また、このエリアのみWi-Fiが使えます。
異国情緒溢れるこの雰囲気。旅好き女子はイチコロですね ^^
お花が咲き乱れるホテル内
小道を進んで行くと
素敵なピールが・・・
砂漠の中のプールは1番の贅沢
日が落ち辺りが暗くなり始めると、このホテルは凄みを一層増す。
何ともまー。。。(^^;
“ アル・ムーディラ ”は、ルクソールでの宿泊先を探していた時
ある方のHPで見つけ一目惚れしたホテルです。
想像していた以上に素晴らしいホテルでした。良かったー☆
ナイル川を超えた西岸、素朴な村の中ガードマン? 警官? に封鎖された道の先に・・・
“ アル・ムーディラ ”というホテルです。
ジュエリーデザイナーでもあるレバノン人のマダムがオーナー。
ヌビア建築のエッセンスやトルコ風の様式や様々な様式が調和した
とてもロマンチックで不思議な空間のホテルです。
ちょうどよい広さのアットホームなエントランス。
エントランスの隣には中庭があり、ここでお茶や軽食が楽しめます。
また、このエリアのみWi-Fiが使えます。
異国情緒溢れるこの雰囲気。旅好き女子はイチコロですね ^^
お花が咲き乱れるホテル内
小道を進んで行くと
素敵なピールが・・・
砂漠の中のプールは1番の贅沢
日が落ち辺りが暗くなり始めると、このホテルは凄みを一層増す。
何ともまー。。。(^^;
“ アル・ムーディラ ”は、ルクソールでの宿泊先を探していた時
ある方のHPで見つけ一目惚れしたホテルです。
想像していた以上に素晴らしいホテルでした。良かったー☆
ルクソール - カルナック & ルクソール神殿 - [旅行]
2日間過ごしたメナ・ハウス・オベロイを後にしてルクソールへ
今日からはカイロを案内していただいたアブドさんからアイマンさんへガイドが変わる。
スモッグの為かいつも煙った感じがするカイロの街。
圧倒的に韓国車が多い中日本車発見。しかもかなり昔のシビックだ。
いつ頃生産されたシビックかわからないが、なぜか嬉しくなる
カイロからルクソールへは約1時間の空の旅。
砂漠の中ナイル川沿いに街が広がる。景色と空気がカイロとまったく違う。
ルクソールはかつてテーベと呼ばれ、中王国時代に国内を統一する首都となり
新王国時代にかけアメン神信仰の総本山として栄え、最盛期の人口は100万人に近くになったという。
ガイドさんに連れられて地元のローカルレストランで昼食。
窓からの眺め。バルサのユニフォームを着た子供達がいっぱいいた。
豆のスープ / ナスのサラダ / ごまペースト等をアエイシというエジプトパンに挟んで食べる。
コフタ ! 羊の挽肉にタマネギやパセリ等を混ぜ合わせ串焼きした料理。
スープもペーストもパンもコフタも美味しかった
カルナック大神殿はアメン大神殿を中心とした、敷地の周囲が5キロにわたる広大な神殿。
中王国時代地方神のアメン神を祭る神殿であったが、テーベが首都となると
アメン神は太陽神ラーと合体し、国家最高神として信仰を集めた。
スフィンクス参道を進んだ先が第1塔門。
さらにその先にラムセス2世の巨像が守るように立つ第2塔門。
オシリス神のポーズをとるラムセス2世。足の間にいるのはベント・アンナ王女。
大列柱室。石灰岩で造られた直径5mの柱が立ち並ぶ。
アメンヘテフ3世が着工、ラムセス2世が紀元前1285年頃完成させた大列柱室は
当時石の天井で覆われていたという。
右側がトトメス1世、左側がハトシェプスト女王のオベリスク。
ハトシェプスト女王のオベリスクは、現存する最大のもので高さ 29.55m、
完成時には先端に金箔が貼られ、キラキラ輝いていた。
対になって立っていたハトシェプスト女王のオベリスクの先端と女王の間。
聖なる池とスカラベの大石像。
スカラベのまわりを人がグルグル回っている。その訳は。
スカラベは太陽神の化身とされ、幸運の象徴。
この周りを時計と反対回りに7周すると願いが叶うという。
もちろん僕らも回りました ^^
カルナック神殿を後にルクソール神殿へ。
ルクソール神殿はカルナック神殿の副殿として、
新王国時代第18朝アメンテヘテブ3世と、ラムセス2世の2人が主に建設した。
創建時はスフィンクス参道により、二つの神殿はつながっていた。
カデシュの戦いがレリーフに描かれた第1塔門と高さ25mのオベリスク。
対になっていたもう1本のオベリスクは、現在なんと、パリのコンコルド広場にある。。。^^;
門を入った左手には、11世紀に建てられたアブー・エル・ハッジャージ・モスクが神殿とコラボしていて変な感じ。
中庭から大列柱廟を望む。
閉花式パピルス柱に囲まれた広場で
正面にラムセス2世座像、左手にラムセス2世立像がある。
開花式パピルス柱が14本並ぶ大列柱廟。
入ったすぐ右手に、ツタンカーメン王とアンケセナーメン王妃座像。
壁画も色鮮やかに残っている。
右側の壁画はローマ皇帝を崇拝する為、
ローマ時代に改造された1番奥の神殿の壁に描かれていたローマ風の人達のフレスコ画。
今日からはカイロを案内していただいたアブドさんからアイマンさんへガイドが変わる。
スモッグの為かいつも煙った感じがするカイロの街。
圧倒的に韓国車が多い中日本車発見。しかもかなり昔のシビックだ。
いつ頃生産されたシビックかわからないが、なぜか嬉しくなる
カイロからルクソールへは約1時間の空の旅。
砂漠の中ナイル川沿いに街が広がる。景色と空気がカイロとまったく違う。
ルクソールはかつてテーベと呼ばれ、中王国時代に国内を統一する首都となり
新王国時代にかけアメン神信仰の総本山として栄え、最盛期の人口は100万人に近くになったという。
ガイドさんに連れられて地元のローカルレストランで昼食。
窓からの眺め。バルサのユニフォームを着た子供達がいっぱいいた。
豆のスープ / ナスのサラダ / ごまペースト等をアエイシというエジプトパンに挟んで食べる。
コフタ ! 羊の挽肉にタマネギやパセリ等を混ぜ合わせ串焼きした料理。
スープもペーストもパンもコフタも美味しかった
カルナック大神殿はアメン大神殿を中心とした、敷地の周囲が5キロにわたる広大な神殿。
中王国時代地方神のアメン神を祭る神殿であったが、テーベが首都となると
アメン神は太陽神ラーと合体し、国家最高神として信仰を集めた。
スフィンクス参道を進んだ先が第1塔門。
さらにその先にラムセス2世の巨像が守るように立つ第2塔門。
オシリス神のポーズをとるラムセス2世。足の間にいるのはベント・アンナ王女。
大列柱室。石灰岩で造られた直径5mの柱が立ち並ぶ。
アメンヘテフ3世が着工、ラムセス2世が紀元前1285年頃完成させた大列柱室は
当時石の天井で覆われていたという。
右側がトトメス1世、左側がハトシェプスト女王のオベリスク。
ハトシェプスト女王のオベリスクは、現存する最大のもので高さ 29.55m、
完成時には先端に金箔が貼られ、キラキラ輝いていた。
対になって立っていたハトシェプスト女王のオベリスクの先端と女王の間。
聖なる池とスカラベの大石像。
スカラベのまわりを人がグルグル回っている。その訳は。
スカラベは太陽神の化身とされ、幸運の象徴。
この周りを時計と反対回りに7周すると願いが叶うという。
もちろん僕らも回りました ^^
カルナック神殿を後にルクソール神殿へ。
ルクソール神殿はカルナック神殿の副殿として、
新王国時代第18朝アメンテヘテブ3世と、ラムセス2世の2人が主に建設した。
創建時はスフィンクス参道により、二つの神殿はつながっていた。
カデシュの戦いがレリーフに描かれた第1塔門と高さ25mのオベリスク。
対になっていたもう1本のオベリスクは、現在なんと、パリのコンコルド広場にある。。。^^;
門を入った左手には、11世紀に建てられたアブー・エル・ハッジャージ・モスクが神殿とコラボしていて変な感じ。
中庭から大列柱廟を望む。
閉花式パピルス柱に囲まれた広場で
正面にラムセス2世座像、左手にラムセス2世立像がある。
開花式パピルス柱が14本並ぶ大列柱廟。
入ったすぐ右手に、ツタンカーメン王とアンケセナーメン王妃座像。
壁画も色鮮やかに残っている。
右側の壁画はローマ皇帝を崇拝する為、
ローマ時代に改造された1番奥の神殿の壁に描かれていたローマ風の人達のフレスコ画。
メナ・ハウス・オベロイ - 夕食 @ Abu Nawas - [旅行]
ダハシュール・メンフィス・サッカラ・ギザと過密な観光を楽しんだ僕らは
グッタリ疲れて、メナ・ハウス・オベロイへ帰って来た。
まずはラウンジで一杯
冷えたビールが美味しいー♪
一休みした後部屋へ戻る。
ランドリーも戻って来ていた。
シャワーを浴びてドルガバのスーツに着替えて夕食へ
メナ・ハウス・オベロイには5つのダイニングがあるが
ベリー・ダンスの看板に惹かれて“ Abu Nawas ”へ
ダイニング内は間接照明とろうそくの灯りのみでかなり薄暗い。
予約はしていなかったが最初の客だったのでステージ前の席に通された。
ラッキー
地元エジプトワインで乾杯
サーモンとフォアグラ
スープ。。。何のスープだったか記憶がいまいち。
ヒレ・ステーキと子羊のグリル
バンドの演奏はかなり本格的。スーフィー・ダンスもとても良かった。
ベリー・ダンスは撮影禁止の為写真が撮れなかったが盛り上がってました ^^
グッタリ疲れて、メナ・ハウス・オベロイへ帰って来た。
まずはラウンジで一杯
冷えたビールが美味しいー♪
一休みした後部屋へ戻る。
ランドリーも戻って来ていた。
シャワーを浴びてドルガバのスーツに着替えて夕食へ
メナ・ハウス・オベロイには5つのダイニングがあるが
ベリー・ダンスの看板に惹かれて“ Abu Nawas ”へ
ダイニング内は間接照明とろうそくの灯りのみでかなり薄暗い。
予約はしていなかったが最初の客だったのでステージ前の席に通された。
ラッキー
地元エジプトワインで乾杯
サーモンとフォアグラ
スープ。。。何のスープだったか記憶がいまいち。
ヒレ・ステーキと子羊のグリル
バンドの演奏はかなり本格的。スーフィー・ダンスもとても良かった。
ベリー・ダンスは撮影禁止の為写真が撮れなかったが盛り上がってました ^^
ギザ - 三大ピラミッドとスフィンクス - [旅行]
シーフードレストラン?で肉料理を食べた後は三大ピラミッドへ
近づくにつれ徐々に大きくなっていくピラミッドに感動。
左奥から、メンカウラー王、カフラー王、クフ王の大ピラミッド群。
第4王朝のファラオ達はいったい何を思いこの巨大建造物を造り上げたのか。
最初はやっぱり世界最大の石造建築クフ王のピラミッドからスタート。
高さ146.6m、底辺230.37m、傾斜角51.50°。
すぐそばから見上げるとその巨大さに圧倒される。
右側写真中央にポツンと写っているのが僕ら・・・
世界七不思議というが4500年以上もの間倒壊もせず残っている事は奇跡だ。
通称“マムーンの穴”と呼ばれている入口から中へ。
マムーンの穴は820年アッバース朝第7代カリフ、アル・マムーンが部下と共に
ピラミッドの調査に訪れた時に侵入用に開けた穴。
その時既にピラミッド内にお宝は何も残っていなかったという。
大回廊の中で写真を1枚。真っ暗。この中は撮影禁止です。。。^^;
3つのピラミッドが一望出来るパノラマポイントへ。
皆さん、ポーズ決めてます。
ここまで来たら僕らも楽しまなきゃー♪ という事で
定番の2つを ☆
思っていた以上に素晴らしかった太陽の舟。
1954年にクフ王のピラミッドの南側で発見され、
再建に14年も要した世界最古の木造船。
太陽神は昼と夜別々の舟で天空を往来するとされている。
すぐ側の敷地に第二の太陽の舟が埋まっているのが
確認されているが、昼と夜のペアかなー?
数あるスフィンクスの中でもギザのスフィンクスは世界最大。
長さ57m、高さ20m、ひとつの岩山を彫って造ったというから驚きだ。
ここでも、キメポーズ
ゴロゴロ & チュ
ラクダに乗って。楽しかった。
近づくにつれ徐々に大きくなっていくピラミッドに感動。
左奥から、メンカウラー王、カフラー王、クフ王の大ピラミッド群。
第4王朝のファラオ達はいったい何を思いこの巨大建造物を造り上げたのか。
最初はやっぱり世界最大の石造建築クフ王のピラミッドからスタート。
高さ146.6m、底辺230.37m、傾斜角51.50°。
すぐそばから見上げるとその巨大さに圧倒される。
右側写真中央にポツンと写っているのが僕ら・・・
世界七不思議というが4500年以上もの間倒壊もせず残っている事は奇跡だ。
通称“マムーンの穴”と呼ばれている入口から中へ。
マムーンの穴は820年アッバース朝第7代カリフ、アル・マムーンが部下と共に
ピラミッドの調査に訪れた時に侵入用に開けた穴。
その時既にピラミッド内にお宝は何も残っていなかったという。
大回廊の中で写真を1枚。真っ暗。この中は撮影禁止です。。。^^;
3つのピラミッドが一望出来るパノラマポイントへ。
皆さん、ポーズ決めてます。
ここまで来たら僕らも楽しまなきゃー♪ という事で
定番の2つを ☆
思っていた以上に素晴らしかった太陽の舟。
1954年にクフ王のピラミッドの南側で発見され、
再建に14年も要した世界最古の木造船。
太陽神は昼と夜別々の舟で天空を往来するとされている。
すぐ側の敷地に第二の太陽の舟が埋まっているのが
確認されているが、昼と夜のペアかなー?
数あるスフィンクスの中でもギザのスフィンクスは世界最大。
長さ57m、高さ20m、ひとつの岩山を彫って造ったというから驚きだ。
ここでも、キメポーズ
ゴロゴロ & チュ
ラクダに乗って。楽しかった。
ダハシュール・メンフィス・サッカラ - 初ピラミッド - [旅行]
時差も寝不足も乗り越えて人生初のピラミッドへ
街の中をロバやラクダが当たり前のように歩いている
ビックリ !
カイロから車で1時間15分程砂漠の中や、小さな村を走り抜けて行くとピラミッドが見えてきた。
ここは、ダハシュール。ギザと共に世界遺産に登録されている。
まず、1番有名な赤のピラミッドへ。高さ105m、底辺220m,傾斜角43.22°。比較的なだらかなです。
古王国時代第4王朝スネフェル王が紀元前2600年頃建設。
(スネフェル王はギザの大ピラミッドを建設したクフ王のお父さん)
ピラミッドの中へ
登っているのではなくて下っている。しかも中腰です。。。^^; かなりキツイー もう、足がガクガク。。。
そして、降りて行くにしたがって、強烈なアンモニア臭が。
王の間。
天井へ向かって石が正確に積み上げられている。かつて石棺があった場所。
湿気が凄い ! 暑い !! しかも臭い !!!
速攻脱出しましたが、もう膝が笑う笑う、フラフラでした
屈折ピラミッド。
途中で傾斜角が変わっている奇妙なピラミッド。
建設したのは赤のピラミッドと同じスネフェル王。赤のピラミッドより、前に作られたといわれている。
初代ファラオ・ナルメスが築いたエジプト最初の首都“ メンフィス ”。
メンフィスは、森の都/白壁の都と呼ばれ、ブタハ神を祭る美しい都として繁栄したそうだ。
エジプトにいる間中お世話になるラムセス2世。
大理石の1種アラバスターで出来たスフィンクス。重さは80t。紀元前1450年頃造ったとされる。
ラムセス2世の巨像。プタハ神殿の入口に建立されていたが
地震により足首の部分が破損した為現在は横たわっている。
サッカラは古代下エジプトのネクロポリス(死者の町)だった。
ジョセル王が約4600年前に建設した世界初の階段ピラミッドと
ピラミッドを中心に広がる祭殿 神殿 マスタバ墳のピラミッド・コンプレックス。
この日のお昼はギザにあるシー・フード・レストラン。
シー・フードというわりには肉しかなかった
街の中をロバやラクダが当たり前のように歩いている
ビックリ !
カイロから車で1時間15分程砂漠の中や、小さな村を走り抜けて行くとピラミッドが見えてきた。
ここは、ダハシュール。ギザと共に世界遺産に登録されている。
まず、1番有名な赤のピラミッドへ。高さ105m、底辺220m,傾斜角43.22°。比較的なだらかなです。
古王国時代第4王朝スネフェル王が紀元前2600年頃建設。
(スネフェル王はギザの大ピラミッドを建設したクフ王のお父さん)
ピラミッドの中へ
登っているのではなくて下っている。しかも中腰です。。。^^; かなりキツイー もう、足がガクガク。。。
そして、降りて行くにしたがって、強烈なアンモニア臭が。
王の間。
天井へ向かって石が正確に積み上げられている。かつて石棺があった場所。
湿気が凄い ! 暑い !! しかも臭い !!!
速攻脱出しましたが、もう膝が笑う笑う、フラフラでした
屈折ピラミッド。
途中で傾斜角が変わっている奇妙なピラミッド。
建設したのは赤のピラミッドと同じスネフェル王。赤のピラミッドより、前に作られたといわれている。
初代ファラオ・ナルメスが築いたエジプト最初の首都“ メンフィス ”。
メンフィスは、森の都/白壁の都と呼ばれ、ブタハ神を祭る美しい都として繁栄したそうだ。
エジプトにいる間中お世話になるラムセス2世。
大理石の1種アラバスターで出来たスフィンクス。重さは80t。紀元前1450年頃造ったとされる。
ラムセス2世の巨像。プタハ神殿の入口に建立されていたが
地震により足首の部分が破損した為現在は横たわっている。
サッカラは古代下エジプトのネクロポリス(死者の町)だった。
ジョセル王が約4600年前に建設した世界初の階段ピラミッドと
ピラミッドを中心に広がる祭殿 神殿 マスタバ墳のピラミッド・コンプレックス。
この日のお昼はギザにあるシー・フード・レストラン。
シー・フードというわりには肉しかなかった
メナ・ハウス・オベロイ - お部屋&朝食 - [旅行]
成田を飛び立ち約16時間後やっと2日間宿泊する事になる
“ メナ・ハウス・オベロイ ”へ到着した。
このホテルはエジプトの王族イスマイル・バシャの別荘が前身。
何ともきらびやかな建物。
さてチェックイン時フロントにも一連のトラブル内容は伝わっていた。その言い訳は。。。。。^^;
「アメックスから送迎の連絡は入っていたが到着時間の連絡が無かった。」
「日本からのフライトは1便しかないからわかるでしょ。
そしてこのバウチャーにも時間が書いてあるでしょ」
「1番眺めの良い部屋を用意しました・・・」
ホントかなーと思いつつ、ここで言い張っても仕方ないので・・・
僕らの予約した部屋はガーデン棟のピラミッド・ビューの部屋。
パレス棟へアップ・グレードかなと思ったのだが。。。ガーデン棟でした。
エジプトは既に深夜。窓の外を見るが何も見えない。
お部屋は広くて綺麗。
インターネットも直ぐにつながった。
シンクとバス。
お酒を少し飲んで爆睡。
3時間くらい寝たところで目が覚めた。
時差が7時間あるから仕方ない。
窓を開けバルコニーへ出ると目の前にピラミッドが。
1番眺めの良い部屋かわからないがやっぱり感動。
朝食はパレス棟にあるダイニングへ。
バフェでした。
睡眠不足そして疲れてている割にはしっかり食べれました。
キラキラのエントランスでガイドさんと待ち合わせ
ピラミッドへGO !!
“ メナ・ハウス・オベロイ ”へ到着した。
このホテルはエジプトの王族イスマイル・バシャの別荘が前身。
何ともきらびやかな建物。
さてチェックイン時フロントにも一連のトラブル内容は伝わっていた。その言い訳は。。。。。^^;
「アメックスから送迎の連絡は入っていたが到着時間の連絡が無かった。」
「日本からのフライトは1便しかないからわかるでしょ。
そしてこのバウチャーにも時間が書いてあるでしょ」
「1番眺めの良い部屋を用意しました・・・」
ホントかなーと思いつつ、ここで言い張っても仕方ないので・・・
僕らの予約した部屋はガーデン棟のピラミッド・ビューの部屋。
パレス棟へアップ・グレードかなと思ったのだが。。。ガーデン棟でした。
エジプトは既に深夜。窓の外を見るが何も見えない。
お部屋は広くて綺麗。
インターネットも直ぐにつながった。
シンクとバス。
お酒を少し飲んで爆睡。
3時間くらい寝たところで目が覚めた。
時差が7時間あるから仕方ない。
窓を開けバルコニーへ出ると目の前にピラミッドが。
1番眺めの良い部屋かわからないがやっぱり感動。
朝食はパレス棟にあるダイニングへ。
バフェでした。
睡眠不足そして疲れてている割にはしっかり食べれました。
キラキラのエントランスでガイドさんと待ち合わせ
ピラミッドへGO !!
エジプトへ [旅行]
新春念願のエジプトへ行って来ました。
1/2に出国して1/10に帰国。
帰国後、アルジェリアで政変が起き中東全体へと民主化運動の波が広がっていく事を
エジプト滞在中に感じる事は出来ませんでした。
この旅の記録はアラブの春と呼ばれる民主化運動が起こる直前のエジプトです。
エジプトへは直行便がフライトしているエジプト航空が便利。
2010年12月3日から移転された第1ターミナルでチェックイン。
久々にスターアライアンスのラウンジを利用したが良かった !!
お酒も食べ物も種類が豊富。
スープはスープストック東京。
蕎麦もきちんと釜の中で泳がせた物を振る舞ってくれる。
これでは「うどんですかい」「そばですかい」のJALをだれも使わないな。
僕らの飛行機 MS965 は約1時間遅れてPM2:30にエジプトへ向かって飛び立った。
離陸後PM3:10頃1回目の食事。
ネット上で評判がいまいちの機内食は期待以上に美味しかったです。
なおエジプト航空ではお酒のサービスがありません。。。(^^;)
写っているビールは持ち込みました。
食後はペプシを飲みながら“ ダイ・ハード4 ”
字幕はアラビア文字 ???
日本語吹き替えになってます。
うとうとしているとPM8:30ごろおにぎりのサービス。
窓の外も暗くなってきた。爆睡。
日本時間翌日AM2:10。日本を飛び立ち約11時間。
機内の間接照明が灯り朝食。
メインは蟹粥。食べれないなーと思いつつ完食。
日本時間翌日AM4:50。日本を飛び立ち約14時間。
やっと着きました・・・疲れたー
しかしここで事件発生。
空港→ホテル間はアメックス経由でホテルへ送迎を頼んでいたのだが
僕らの名前を書いたプレートを持った人がいない。
電話は自動的に現地モードになっていたのでホテルへTELするがうまくつながらない。
すっかり困りはて、インフォーメーションの方へ事情を話すと
その方がホテルと調整してくれ、まもなくホテル手配のタクシーがやってきました。
インフォーメーションの方本当にありがとうございました。
1/2に出国して1/10に帰国。
帰国後、アルジェリアで政変が起き中東全体へと民主化運動の波が広がっていく事を
エジプト滞在中に感じる事は出来ませんでした。
この旅の記録はアラブの春と呼ばれる民主化運動が起こる直前のエジプトです。
エジプトへは直行便がフライトしているエジプト航空が便利。
2010年12月3日から移転された第1ターミナルでチェックイン。
久々にスターアライアンスのラウンジを利用したが良かった !!
お酒も食べ物も種類が豊富。
スープはスープストック東京。
蕎麦もきちんと釜の中で泳がせた物を振る舞ってくれる。
これでは「うどんですかい」「そばですかい」のJALをだれも使わないな。
僕らの飛行機 MS965 は約1時間遅れてPM2:30にエジプトへ向かって飛び立った。
離陸後PM3:10頃1回目の食事。
ネット上で評判がいまいちの機内食は期待以上に美味しかったです。
なおエジプト航空ではお酒のサービスがありません。。。(^^;)
写っているビールは持ち込みました。
食後はペプシを飲みながら“ ダイ・ハード4 ”
字幕はアラビア文字 ???
日本語吹き替えになってます。
うとうとしているとPM8:30ごろおにぎりのサービス。
窓の外も暗くなってきた。爆睡。
日本時間翌日AM2:10。日本を飛び立ち約11時間。
機内の間接照明が灯り朝食。
メインは蟹粥。食べれないなーと思いつつ完食。
日本時間翌日AM4:50。日本を飛び立ち約14時間。
やっと着きました・・・疲れたー
しかしここで事件発生。
空港→ホテル間はアメックス経由でホテルへ送迎を頼んでいたのだが
僕らの名前を書いたプレートを持った人がいない。
電話は自動的に現地モードになっていたのでホテルへTELするがうまくつながらない。
すっかり困りはて、インフォーメーションの方へ事情を話すと
その方がホテルと調整してくれ、まもなくホテル手配のタクシーがやってきました。
インフォーメーションの方本当にありがとうございました。
羽黒山 “ 宿坊 多聞館 ” [旅行]
奥の細道の旅出羽三山での宿泊先は
宿坊 多聞館
大正時代に建築された建物は
掃除が行き届き磨き抜かれてとても綺麗
お部屋の中はこんな感じ。
基本的にふすまでで仕切られているだけですがとても静かでした
楽しみの夕食は1階の大広間で。
お隣はサッカー大会があったみたいで中学生の男の子達と
すごい食欲にビックリでした
季節の地元の食材をいかしたお料理の数々。
1番のお気に入り 胡麻豆腐 ☆
精進料理が中心ですがお魚や海老も付いてました。
月山筍の煮しめ ! 美味しいー
さて爆睡の夜は明け
朝ごはんを食べて出発
宿坊 多聞館
大正時代に建築された建物は
掃除が行き届き磨き抜かれてとても綺麗
お部屋の中はこんな感じ。
基本的にふすまでで仕切られているだけですがとても静かでした
楽しみの夕食は1階の大広間で。
お隣はサッカー大会があったみたいで中学生の男の子達と
すごい食欲にビックリでした
季節の地元の食材をいかしたお料理の数々。
1番のお気に入り 胡麻豆腐 ☆
精進料理が中心ですがお魚や海老も付いてました。
月山筍の煮しめ ! 美味しいー
さて爆睡の夜は明け
朝ごはんを食べて出発
ベトナム食べ物記録 [旅行]
今回の旅行で今までUPしていなかった食事 !
旅のスタートはまずJALのラウンジのビールで始まる。
しかし成田のラウンジは年々食べる物がなくなっていく・・・
そして機中でもビール(^^
和食と洋食
ハノイのラウンジで
いろいろあって大満足
炊き込みご飯とスープ。
牛肉が柔らかく煮込まれて美味しい。
焼きそば。
ハノイからフエへ向かう機中で。
パンの上にチーズ&サラミ&サーモン。
ダナン空港のチェックイン・カウンターとラウンジ
ここで失敗。。。
僕の持ってきたスープはダナン名物の“ ミー・グアン ”のスープでした。
ホントはスープの前に置いてあった麺ももってきてかけて食べるのが食べ方。
知らずにスープだけ食べてしまった(^^;
ダナンからハノイへ向かう機中で。
ハノイのチェックイン・カウンターとラウンジ
深夜の為食べ物はあまりありませんでした。
朝食はお粥。
そして僕らのベトナム旅行は終わった。
ご馳走さま
旅のスタートはまずJALのラウンジのビールで始まる。
しかし成田のラウンジは年々食べる物がなくなっていく・・・
そして機中でもビール(^^
和食と洋食
ハノイのラウンジで
いろいろあって大満足
炊き込みご飯とスープ。
牛肉が柔らかく煮込まれて美味しい。
焼きそば。
ハノイからフエへ向かう機中で。
パンの上にチーズ&サラミ&サーモン。
ダナン空港のチェックイン・カウンターとラウンジ
ここで失敗。。。
僕の持ってきたスープはダナン名物の“ ミー・グアン ”のスープでした。
ホントはスープの前に置いてあった麺ももってきてかけて食べるのが食べ方。
知らずにスープだけ食べてしまった(^^;
ダナンからハノイへ向かう機中で。
ハノイのチェックイン・カウンターとラウンジ
深夜の為食べ物はあまりありませんでした。
朝食はお粥。
そして僕らのベトナム旅行は終わった。
ご馳走さま
ハノイをブラブラ [旅行]
ベトナムの首都ハノイは人とバイクでいっぱい。
町の活気に圧倒されます。
メトロポールからブラブラ歩いて
湖の底に国を守る大亀が棲むというホアンキエン湖。
1886年建造のネオゴシック様式のハノイ大教会へ。
お昼はブンチャー
店先で炭火でお肉が焼かれてもうたまりません(^^;
タレの中にお肉が入っていてそこに香草やモヤシを入れ
麺と一緒にいただきまーす
おなかがいっぱいになったら
旧市街のチェーのお店へ
地元ッティに人気のお店みたいで
バイクに乗った女の子達がひっきりなしに来てました。
チェーはたくさんのフルーツと寒天へココナッツミルクがかかった
不思議な美味しさのスイーツでしたー^^
スイーツの後はカフェへ
少し怪しいネオンの下をくぐり
細長い通路や階段を4・5階分?進んでいくと
ホアンキエン湖を一望出来る屋上へ。
絶景
ハノイへ来たらやっぱり水上人形劇も外せません。
ホアンキエン湖畔のタンロン劇場へ GOー♪
1000年前から伝わる伝統芸能は笑いあり涙ありで言葉はわからなくとも飽きません。
フィナーレには幕の後ろから人形遣いが登場して場内大喝采でした