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奥の細道を食べる - 石巻 “ 友福丸 ” - [奥の細道を食べる]

松島を後にした芭蕉と曾良は歌枕“ 袖の渡り ”を訪ねた。
袖の渡りとは過日牛若丸が京から平泉へ赴く途中
北上川を渡る渡し船に船賃として片袖を渡したという由来の場所。
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住吉神社と神社の向かいにある“ 袖の渡り ”
義経フリークの芭蕉は感動[ぴかぴか(新しい)]

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袖の渡りの先の川の中に大きな石がある。
昔海の干満の際水が石に当たって渦を巻くところから
“ 巻石 ”と呼ばれそれが石巻の地名となったという。

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石巻の高台にある日和山。
鎌倉・室町時代の城跡。
芭蕉と曾良はここから北上川を眺めた。

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江戸時代には港に諸藩の米倉が建ち
米を江戸に運ぶ千石船でにぎわっていたと伝わる。

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石巻は年間17万トンの水揚げを誇る港町。
郷土料理・名物料理ど評判の “ 友福丸 ” さんへ
カウンター席の炉端の前にはお酒もたくさんあるが今日は飲めない。。。

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名物料理“ うにぶっかけめし ”
しかも6月~8月限定の紅白うに合戦[グッド(上向き矢印)]

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紅 = 利尻産エゾバフンウニ 濃厚な甘みがなんとも・・・[黒ハート]
白 = 地元キタムラサキウニ  爽やかな甘みがなんとも・・・[ハートたち(複数ハート)]

“ 友福丸 ”さん ! 夜じっくり行きたいです ♪
さーいよいよ平泉へ[車(セダン)]
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奥の細道を食べる - 松島 瑞巌寺 “ あかま水産 ” - [奥の細道を食べる]

全島霊地“雄島”が放つ圧倒的なパワーに
心底震え上がった芭蕉と曾良は瑞巌寺へ
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五大堂は807年坂上田村麻呂が毘沙門堂を建立したのが始まりだという。
現在の建物は伊達政宗が桃山式建築手法を用いて再建したもの。

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総門を通り参道を進むと正面に方丈右手に庫裡が配置する禅宗伽藍。

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国宝の庫裡。
紀州熊野から材木が運ばれ京都から名工130人が集められ造営された。

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国宝の方丈と樹齢400年の臥竜梅。紅白ともに八重咲で花弁は20数枚。
4月20日前後に咲くという[かわいい]

しかし瑞巌寺の神髄はこれらの国宝では無かった。。。

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三十三観音霊場と瑞巌寺洞窟群
納骨や供養の為の施設で造営は鎌倉時代まで遡り江戸時代まで続いた。
曾良「お師匠 ! 雄島も怖かったですけどここも怖いですー[雷]
芭蕉「。。。。。[雪]

松島から奥松島へ向かう途中道沿いから美味しそうなにおいが !!
ネットで検索し口コミを読んでお店を選ぶのも楽しいけど
こういう出会いが旅の醍醐味[手(チョキ)]
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あかま水産
(今年の夏は天気が安定しない。。。急に雨[雨]

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目の前で牡蠣やほたてを焼いてくれます[るんるん]

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松島といえばやっぱり牡蠣

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焼き牡蠣とあさり汁
これで150円[グッド(上向き矢印)]
美味しいー♪ お奨めですー[わーい(嬉しい顔)]
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奥の細道を食べる - 松島雄島 “ 観瀾亭 ” - [奥の細道を食べる]

奥の細道旅立ちの時「松島の月先心にかゝりて」と記していたように
芭蕉と曾良にとって松島は旅の大きな目的の一つであった[満月]
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塩竈から松島まではやっぱり船で行きたい
マリン・ゲートから芭蕉丸に乗って出発[船]

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日本三景の一つに数えられる松島は
湾内に大小260あまりの島々が点在する景勝地です。
毘沙門島 ! 仁王島 !! いかにも松島 ! って感じー♪

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塩竈を出て50分 そろそろ飽きてきた頃に松島へ到着。
かもめ ? うみねこ ? が出迎えてくれた。

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雄島は今は松島の中心から少し外れている為観光客も多くはないが
この世とあの世を結ぶ特別な霊場として松島のルーツとなった場所。
満月橋は橋を渡ると一旦この世と縁が切れ
島を巡ると魂が浄化され再び橋へ戻ると真人間に生まれ変わるという。

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確かに霊場。。。
仏・菩薩の像を刻んだ石窟がたくさんあって恐い・・・[がく~(落胆した顔)]

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浄土に一番近い島に林立する中世の供養塔の板碑。
奥の細道の句碑。

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豊臣秀吉から伊達政宗が拝領した伏見城の一部を移築した “ 観瀾亭 ”
観瀾亭の「瀾」はさざなみという意味だそうだ。

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別名月見御殿[三日月]
絶景です。

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抹茶とずんだ餅をいただきながら松島湾の眺めを楽しめます。
もうお殿様気分[グッド(上向き矢印)]
ここで曾良が一句[ひらめき]
「 松島や鶴に身をかれほとゝぎす 」
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奥の細道を食べる - 塩竈神社 “ 亀喜寿司 ” - [奥の細道を食べる]

芭蕉と曾良は・壺の碑 ・末の松山等の歌枕を訪ねた翌日の早朝
陸奥の国一宮塩竈神社に参詣した。
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大鳥居と樹齢数百年の大杉の間に急勾配の表参道がある。

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202段の石段。。。。。
疲れたー(^^;

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楼門は華麗な桃山風の2階建て。
伊達家4代藩主綱村から5代藩主吉村にかけ1704年完成。

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・別宮 ・左宮 ・右宮の3本殿 2拝殿の社殿が配置され三神が祀られている。

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月と太陽が打ち抜かれた宝燈は
1187年和泉三郎が寄進したと伝わる。
和泉三郎は平泉藤原秀衡の三男忠衡で
父秀衡の死後その遺言を守り23歳の最期まで義経を守った。
義経フリークの芭蕉は深く感銘した[もうやだ~(悲しい顔)]

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塩竈まで来たらやっぱりお寿司でしょう
ネットで検索 ! 地元でリサーチ !! “ 亀喜寿司 ” に決定 !!!

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お通しは鮪の生姜煮
お造りは・まこがれい ・ほっき ・めぬけ

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にぎり#1

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・あなご ・ぶどう海老 ・鮪のほほ ・めぬけ
・さんま ・あわび ・かつお ・いくら ・紫うに ・卵焼き

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にぎり#2

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・大とろのあぶり ・赤貝 ・金華さば ・中とろ
美味しかった~[黒ハート]
また行きたいです[るんるん]
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奥の細道を食べる - 末の松山・野田の玉川 “ おさんこ茶屋 ” - [奥の細道を食べる]

奈良時代以降 国府が置かれた多賀城は陸奥文化の中心であり
周辺には歌枕が多く散在している。
芭蕉と曾良も多賀城・塩竈近辺の歌枕を訪ね歩いている。

“ 末の松山 ”は古今和歌集 百人一首にも詠まれた歌枕で
小高い丘の上樹齢470年の老松が植わる末松山宝国寺となっている。
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恋愛を象徴する歌枕として多くの歌に詠みこまれた“ 末の松山 ”が
想像以上に立派な黒松の老木であった事にビックリ[晴れ]

どんな事がおきてもこの松山を海の波が越える事はあり得ない、と言われた。

その事から末の松山の歌枕としての意味合いは
このあり得ない事を揶揄して
波が越える事 → あり得ない事が起きる → 愛が破局する事を言った。

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“ 沖の石 ”は末の松山から100m程にあり古今和歌集で小野小町が読み
百人一首でも二条院讃岐の歌が選歌されている古来からの歌枕である。

人家に囲まれコンクリートに固められた池の中にある奇岩であるが
かつてはここまで海であったという。

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多賀城市と塩釜市の境界を流れる“ 野田の玉川 ”は
古来日本六玉川の一つとして名高い歌枕であった。
現在はコンクリートで護岸され芭蕉が流れのほとりに佇んだ頃の面影は無い。

野田の玉川にかかる“ おもわくの橋 ”
前九年の役の時 阿倍貞任が恋人“ おもわく ”と待ち合わせたという[黒ハート]
阿倍貞任は浄瑠璃や歌舞伎の中では鬼のように描かれる事が多いが
本当は心優しい若武者だったのだろう。

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芭蕉と曾良の足跡を追っていたら小腹が空いた[わーい(嬉しい顔)]
塩竈神社の門前にある “ おさんこ茶屋 ”

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・しょうゆ ・ごま ・くるみ ・あんこ ・ずんだ
作りたての団子は甘さ控えめで大満足[るんるん]
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奥の細道を食べる - 多賀城碑 “ 味太助 ” - [奥の細道を食べる]

芭蕉と曾良は古歌に読まれた歌枕
壺の碑(多賀城碑)を訪ねて塩竈街道を進んだ。
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素朴な風景の中にポツンと碑が佇んでいるのかなーと思っていたが
壺の碑は巨大な城塞都市“ 多賀城跡 ”の一郭にあった[かわいい]

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外郭南門を抜けると南北へ道幅23mのメイン通路と階段が
まっすぐ政庁へ向かって通じている。

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政庁南門の奥には政庁跡が残っている。
多賀城は724年 北の拠点として建設されたという。
今から1300年あまり前の奈良時代 陸奥の地にこの様な巨大な
城塞があり大和朝廷と蝦夷の戦いの場になっていたとは・・・

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目的の壺の碑(多賀城碑)は覆堂の中に。
坂上田村麻呂が蝦夷征伐の時 弓のはずで
日本の中央である事を書き付けたのが“ 壺の碑 ”であったという。

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碑の一節には
京を去ること1500里
蝦夷国界を去ること120里
下野国界を去ること274里・・・
此城は神亀元年・・・
大野朝臣東人の置くところなり・・
等と書かれているそうだ。

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いにしえに思いをはせていたら腹が減った。。。
ここまで来たらやっぱり仙台牛タンでしょう[手(チョキ)]
牛タン発祥の店 “ 味太助 ”

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牛タン定食 1.5人前
・牛タン 4枚 ・テールスープ ・麦飯 のset[グッド(上向き矢印)]

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目の前で炭火で焼いてくれる牛タンは
噛めば噛む程肉汁が溢れだしうま味が増す。
お肉がしっかり付いたテールスープも濃厚で美味しかった[るんるん]
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奥の細道を食べる - 武隈の松 “ 大上 ” - [奥の細道を食べる]

飯坂温泉でまったりくつろぎ長旅の疲れを癒やした
芭蕉と曾良は犀川宿 甲冑堂へと向かった[いい気分(温泉)]
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甲冑堂は坂上田村麻呂を祭神する田村神社の境内にあり
奥の細道 医王寺の章段で書かれている「二人の嫁のしるし」を
実際に見たのはここだとされる

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甲冑堂には二人の子供を亡くし深い悲しいに沈む姑を慰める為
亡き夫の甲冑を身に付け凱旋した姿のように見せたという
楓と初音 二人の嫁の木造が祭られている[もうやだ~(悲しい顔)]

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歌枕として著名な武隈の松は
日本三大稲荷の一社“ 竹駒神社 ”近くの静寂な場所に
ひっそりと植わっていると勝手に想像していたが・・・

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車がビュンビュン行き交う大きな道沿いにありちょっとビックリ[がく~(落胆した顔)]
しかし今から千余年前初めて藤原元善により読まれ
以後能因法師・西行法師そして芭蕉が訪れた“ 二木の松(武隈の松) ”
感慨にふけってしましました。

芭蕉もここで一句。
“ 桜より松は二木を三月越し ”

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ここまで来たらやっぱり 白石名物 温麺へ GO[グッド(上向き矢印)]
創業1867年“ 大上 ”

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三色温麺
胡麻だれ・胡桃だれ・醤油だれで食べる。
温麺は長さ10センチと短くつなぎを入れずに練り上がるのが特徴だそうです。


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温麺も美味しかったが鯨もち(胡麻豆腐)・わらび・ふき等々小鉢がまた美味しかった[るんるん]
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奥の細道を食べる - 医王寺 “ 喜多方源来軒 ” - [奥の細道を食べる]

黒塚を早々に脱出した2人は有名な歌枕
信夫の里・文知摺石を訪ねた。
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“文知摺”とは石の上に布を広げ草木染めすると
石の模様がもじれ乱れて染め上がる。
その模様を都人は恋に心乱れる思いとして読んだ。

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信夫の里は、フルーツ街道としても有名です。
季節の果物がたくさん実っています。
「試食の桃は美味しい~」

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奥州・藤原氏の下で信夫郡の庄官を勤めた
佐藤元治公 息子の継信・忠信兄弟の菩提寺 医王寺を訪ねた。
義経一行が頼朝に追われ平泉に落ちのびていく際
ここ医王寺に佐藤兄弟の遺髪を納めたという。

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杉の古木が並ぶ参道を進んでいくと義経と佐藤兄弟の像がある。
兄継信は屋島の戦いのおり平教経が矢を放った時
義経の前に立ちはだかり身代わりとなり
弟忠信は義経と頼朝が対立し 京都の義経の屋敷に
頼朝軍が差し向けられた時
自ら義経を名乗り主君を逃がし自分は身代わりとなった。

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樹齢数百年という椿の老木は一度に2人の兄弟を亡くした
母乙和御前の悲しみが乗り移りつぼみはつくが
そのまま咲くことなく落ちてしまうという。
兄弟の墓は仲良く寄り添うように並んでいる。

義経びいきのの芭蕉はここで一句。
“ 笈も太刀も さつきにかざれ 紙のぼり ”

福島名物といえば
「喜多方ラーメン !!」

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喜多方ラーメン発祥の店“ 源来軒 ”へ

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平打ち太麺 / バラ焼豚 / 醤油系スープの
喜多方ラーメンの王道。
なるとが可愛い[黒ハート]
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奥の細道を食べる - 奥州安達ヶ原 黒塚 “ ふるさと村 ” - [奥の細道を食べる]

10日あまり滞在した須賀川から芭蕉と曾良はいにしえの時代から
歌枕の地として名高い浅香山へ向かった。
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“浅香山” 山というより丘といった感じ。
芭蕉は万葉集に詠われた淡い紫の“花かつみ”を探すが見つからない。
地元の人に紫色の花の事を聞くが誰も知らない。。。(^_^;
ここまでの道のりの事を思うと心残りはあるが2人は浅香山を後に黒塚へ[車(RV)]

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「なにやら怪しい雰囲気が・・・」
「ここが昔鬼婆が住んでいたという岩屋がある観世寺」
「確かに“ 日光・憾満ヶ淵 ”以来の気配が」

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見るからに恐ろしげな奇岩。
ホントに鬼が住んでいたように感じる。

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出刃包丁を洗ったという池。。。
大蛇のような岩
「もうここから脱出~[雷]

観世寺を脱出した2人が行った先は
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“ 黒塚 ” 僧・東光坊祐慶によって鬼婆が封印された場所。
「ここも怖い・・・[雷][雷]

ここ二本松市安達ヶ原は現在 “ 鬼ばばの里 ” として売り出し中。。。
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安達ヶ原ふるさと村
夏休み(08年)真っ盛りだというのに誰もいない[雪]

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意味不明なオブジェの数々。
典型的な箱物行政。税金の無駄遣いを見たいならぜひ此処へ[バッド(下向き矢印)]

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食事処も併設されている。
・黒塚丼 ・もんぜん鬼婆うどん ???
観世寺と黒塚を見た後ではどうも食欲が・・・出ない。

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蕎麦を食べたがどうにもいまいち。。。[ふらふら]
とっても残念でした。
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奥の細道を食べる - 須賀川“旅籠屋 & かなざわ食堂” - [奥の細道を食べる]

今年もいよいよ奥の細道散策の季節がやって来た !
しかし。。問題が。。。

曾良「お師匠 ! 去年の旅の記録 3回分未UPですよ [猫]
   ずいぶんとさぼってましたねー」
芭蕉「。。。。。(^_^;
   取り合えず今年の旅の記事を UP する前に去年の記録を載せてしまおう!!」
曾良 「そ そ それでいいんですか〜[雨]

あこがれの白河の関を超え みちのくの地に入った
芭蕉と曾良は須賀川在住の俳句友達 相楽等躬の家に滞在。
連日連夜の句会と宴会に飽きた芭蕉は阿武隈川の名勝“乙字ヶ滝”へ観光
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連日の雨の後で水量が増して迫力満点
ホントに乙字形状の滝だ

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滝見不動尊と句碑

乙字ヶ滝に一緒に遊びに来た等躬に
白河の関で詠んだ句の事について問われるが
実は・・・ボーとしていて一句も詠んでいなかった。

しかし後の世で句聖と呼ばれる芭蕉。とっさに言い訳

芭蕉「長旅で心身ともに疲れまた素晴らしい風景に心をうばわれて
    いい句を案じる事が出来なかったのですー♪」
曾良 「う うまい !!」

言い訳を言った瞬間 芭蕉閃く[ひらめき]
「風流の初やおくの田植うた」

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ファミリー・ロッジ “旅籠屋・須賀川店”
アメリカンスタイルのロードサイドホテルです。
確かにアメリカの郊外の町にあるモーテルと同じ感じ。

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ゆったりとした間取りにクイーンサイズが2台。
禁煙部屋も用意されていて嬉しい[わーい(嬉しい顔)]

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LANもシャワートイレも完備。
ここに止まると狭いビジネスホテルはちょっとって感じです。

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夕ご飯は旅籠屋さんに紹介してもらった近所の“かなざわ食堂”へ
昔懐かしドライビ・インといった店構え。駐車場はトラックでいっぱい。
馬刺しでビール。上ホルモン焼定食でおなかいっぱい。

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朝はラウンジに朝食が用意されてます。

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焼きたてのパンとコーヒーは食べ放題・飲み放題
料金 もとってもリーズナブル
また利用したいです。

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